101年めの賢治世界
論義ビヂテリアン大祭

-声明と狂言の語りのために-付「宗論」



仙台・水戸・静岡、3会場で公演


声明が勝つか、

1997年5月9日(金): 仙台(詳細不知)

狂言が勝つか。

1997年5月11日(日): 午後1時30分開場・2時開演
【会場】水戸芸術館コンサートホールATM
【料金】全席指定 A席4000円・B席3000円

論義沸騰!!

1997年5月15日(木): 午後6時30分開場・7時開演
【会場】静岡音楽館AOi
【料金】全自由 3000円 高校生以下1500円


【原作】宮沢賢治
【構成・演出】田村博巳
【作曲・音楽監督】吉川和夫

●賢治と「ビヂテリアン大祭」
 「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」 「風の又三郎」などの詩や童話、 さらに戯曲、短歌、俳句などをのこした宮澤賢治は、 1896(明治29)年に岩手県の花巻に生まれ、 1933(昭和8)年に37歳で没しました。

 彼の作品は豊かな幻想と天才的ともいえるインスピレーションにあふれていて、 いまなお読者を魅了しつづけていますが、 彼は同時に、社会に対して開かれた目を持つ作家でもありました。 当時の自然科学を貪欲に吸収し、農民運動の重要性を説いて実践したのも 彼の大事な一面です。

 その彼の、一般にはあまり紹介される機会のない作品に、 「ビヂテリアン大祭」があります。 これは、菜食主義者たちの世界大会の報告という形で発表された、 彼にあっても異質の作品です。 作品ではそうした彼の多面的で逞しい観心の持ちようが表れていて、 その独特の生命観、宗教観とともに独自の魅力を伝えています。

 賢治はこの作品で、ビヂテリアン(菜食主義者・菜食信者)と 肉食異教徒の論争を通して肉食の是非を議論します。 議論の相手を論破するために選ばれたテーマは多種多様。 肉類と野菜の消化率、味覚の比較に始まって、 さらに殺生の是非、人口増加と食糧資源の問題、 動植物を区別することの是非、キリスト教と仏教の見解の相違、 輪廻の問題と推移します。 そこにはおおまじめな議論とともに、 参加者のユーモラスで人間味あふれる反応も見られて、 読者を飽きさせません。 菜食信者である賢治も、肉食異教徒たちの主張をも踏まえて、 彼自身の苦渋に満ちた結論を提示します。

●〈論義ビヂテリアン大祭〉
 賢治による「ビヂテリアン大祭」は、 それ自身の中に劇場的な要素を蔵していましたが、 これを原作として、さらに賢治の他作品からの文章も加え、 スタイルにふさわしい音楽を付することによって、 近年新たな劇場用作品として生まれ変わりました。 (発案は国立劇場演出部の田村博巳氏。 作曲家の吉川和夫氏との共同作業により完成し、 1991年に国立劇場の委嘱作品として初演。) しかも作品の終わり近くに用意された「余興」では、 狂言で「宗論」の後半部が演じられるというおまけ付です。

 この作品では、賢治の舞台となった国際会議ではなく、 仏教の儀式である「論義」という問答の形で展開されます。 しかもビヂテリアンは仏教の典礼音楽である声明のスタイルで、 異教徒は狂言のスタイルで、おのおの自派の思想を主張するというのですから、 奇抜にして大胆な着想です。

 はたしてこの論争、ビヂテリアンの声明が勝つのか、 それとも肉食異教徒の狂言が勝つのでしょうか? あまりにも異質なこの両者が舞台の上では不思議な対照と融和を見せながら、 日本の伝統的な芸能の精神のうちに作品は展開されていきます。

●初演の評価
 〈論義ビヂテリアン大祭〉には、初演時から熱い賛辞が寄せられています。
◎声明と狂言を対立させるという着想は「じつに的確なもの」であり、 古典的な形式のうちに両者を対立させ、「新しい語り」を誕生させた舞台に 「興味は尽きることなく、この成功を喜びたい」 (斎藤文一氏、酪農事情社刊「宮澤賢治の空中散歩」から)
◎「宗教論や、科学論など難しげな議論が続くのに、 不思議にやっぱり童話なのだという賢治の世界の格調とユーモア(を…) うまく現出」させている(間宮芳生氏、朝日新聞から)。

このページは、一般に配布されているチラシから転載したものです。

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